Study War No More – Ash Speaking Tour 2017 | Event Schedule

イラク帰還米兵スピーキングツアー

Study War No More

– Ash Speaking Tour 2017

戦争とは何なのか。兵士になるとは、どういうことなのか――。
ひとりの元兵士が体験したこと、考えたことを聴きながら、話を始めることができればと思います。
多くの方々のご参加をお待ちしています。

スケジュールは、主催者さんから情報公開の許可を得たイベントから、順次掲載していきます。

各イベント開催情報は、 詳細ページに掲載しています。
問合せ先が掲載されていないイベントについては、Contact Form からお問い合わせください。

スケジュール

 [公開イベント]詳細情報  Flyer  外部サイト

 
同時開催War is Trauma展示スケジュール | War is Trauma について
  
 
 

スピーキングツアーのイベントをつくる


スピーキングツアーのイベントをつくる

~Aaron & Ash Speaking Tour 2012 来日前イベント、プレ・パネル展をふりかえって~


はじめに:この記事について

この記事は、2012年のアーロン・アッシュ スピーキングツアーの前に行った「プレ・パネル展(以下パネル展)」を振り返って、サポーターの一人として参加していた、まつむら(Travelling Warriors会員)が書いています。

パネル展とは、2012年11・12月のツアーに向けて、その準備・宣伝のために、半年ほど前から、アーロンさんとアッシュさんの作品のなかでも絵画のような形態で展示できるものをパネルにして、いろんなところで展示会を開いていこう、という企画でした(当初は、ツアーの時にオリジナルの作品を持ってきてもらうつもりだったため、まずは先に「コピーのようなもの」で作品を紹介しようと始まった企画です)。
2012年6月~11月のあいだに関西と関東でパネルを共有して行いましたが、ここで扱うのは、そのうちの関東での展示会です。

いまパネル展のことを、スピーキングツアーの「準備・宣伝」、そしてパネルを「コピーのようなもの」と書きました。が、じっさいには、このパネル展にも、(オリジナルの作品ではない)パネル自体にも、大事な、そして独自の意味があっただろうと思います(または、独自の意味がどんどん生まれていくものだったというほうが近いかもしれません)。
そのように思う理由は、記事のなかでも書いていきますが、たとえばパネル展の会場やパネル化する作品などを自分たちで選んだということがあります。また、会場探しのときも、パネル展の場でも、「なぜイラク戦争の帰還兵のアート作品のパネル展を行うのか」ということを自分たちの活動として、自分たちの言葉で説明しなくてはいけなかったということもありました。
それらはとても難しく、迷うことやうまくいかないことも多かったように思います。でも、そういう部分も含めて、ツアー前のパネル展は、「アーロンさんやアッシュさんの作品をパネルで紹介し、ツアーを準備・宣伝する」ものというよりも、「帰還兵」ではない(=当事者ではない)人たちが、かれらの活動に自分の活動として関わっていくひとつの方法、過程だったといえるのではないかと思います。

私たちがひとりひとり、帰還兵のツアーに「参加」していく方法と過程。それは、当サイトでは、「Speaking Tour」のページ、「Travelling Warriors スピーキングツアー」の「イメージ図」と説明書きにイメージが載せてあります。だいたい、「みなさんひとりひとりが主催者として色んなイベント企画をつくる&Travelling Warriors が主催者とスピーカーとのあいだをつなぐ」というものです。
この記事は、私がそういうふうに主催者の一人として関わった2012年のパネル展、なかでも関東での展示を振り返るものです(関東のパネル展づくりに参加したメンバーは他にもいますが、この記事はみんなを代表するものでも全体をまとめるものでもありません)。2017年のスピーキングツアーに参加してみようと思われる方にとって、一例としてお読みいただけるとうれしいです。

*写真やチラシ、小冊子などは、とくに記載がなければ2012年のものです。文章は2016年3月現在のものです。チラシなどに載せられていたメールアドレスやお顔写真その他、個人情報・著作物的なものは消してあります。パネル展を観てくださった方々の「感想」もご紹介しますが、こちらで編集させていただいたものです。

パネル展の日程・場所・タイトルなど。

パネル展の開催日程です。☆のついているパネル展は、のちほど内容をご紹介します。

  • 4月~5月
    パネル展の打ち合わせ。パネル、チラシ等の作成。展示会場探し。
  • 6月25日(月)~7月13日(金)
    ☆パネル展 in 関東「ある帰還兵の心象風景」@一橋大学 図書“環”オープンスペース「えん」
  • 6月26日(火)~7月1日(日)
    Aaron & Ash Speaking Tour 2012 来日前イベント in 京都 @京都 ひと・まち交流館
    パネル展「その光景と思索~イラク帰還米兵作品パネル展~」
    映画上映会『立ちあがるイラク帰還兵』 &木村修監督トークイベント(29・30日)
  • 7月18日(水)~8月1日(水)
    ☆パネル展 in 関東「ある帰還兵の心象風景」@café gallery uzna omom(ウズナオムオム)
  • 8月4日(土)~25日(土)
    ☆パネル展 in 関東「その光景と思索~イラク帰還米兵作品パネル展~」@原爆の図 丸木美術館
  • 8月29日(水)~9月12日(水)
    パネル展 in 関東「ある帰還兵の心象風景」@space & cafe まんまるの木
  • 11月2日(金)~4日(日)
    ☆Aaron & Ash Speaking Tour 2012 来日前イベント in 一橋大学一橋祭(いっきょうさい)
    パネル展 in 関東「イラク帰還米兵 作品パネル展」| 映画上映会『IVAW(反戦イラク帰還兵の会) 明日へのあゆみ』(2012)&木村修監督トークイベント(3日)
  • 11月 ツアーはじまる。

パネル展の準備いろいろ。

パネル展の企画と準備は、だいたい2012年の4月ごろから始めました。主な作業は、パネル展をすることの決定、サポートメンバー集め、パネル化して展示する作品選び、パネル作り、会場探し、チラシや冊子作りなどです。

●パネル展企画の決定とパネル作り
パネル展の企画自体は、関西で行うことが決まっていたため、関東でもそれをやろう、というふうに決まったように思います。アーロンさん・アッシュさんの作品の一覧を見ながら、どれをパネルにするのか、パネルの大きさはどれくらいにするのか、打ち合わせをしました。パネルは、作品をデジタル・データで送ってもらい、日本で縮小印刷して作成しました(関西で作成)。

●サポートメンバー集め
サポートメンバー集めは、まずは身近な人で、軍隊や戦争のことに関心がある人に声をかける、というシンプルなものでした。初めは、パネル展がどういうものになるのかもはっきりしていませんでしたから、だいたいのことを説明して「一緒に作っていこう」と誘う、という感じでした。ひとつひとつのパネル展の搬入・搬出やその他の作業などは、サポーターのあいだのMLで告知して、当日予定の合う人が集合するときもありました。

●会場探し・希望いろいろ
そうしてパネル展がどういうものかが分かっていったのは、会場探しと並行して、少しずつだったように思います。会場を探すにあたって、私たちは<パネル展ですること>(以下の1. ~7.)をまとめ、それに合わせて会場を探していきました。しかし、会場の性格によってあきらめた項目があったり、貸主さんと話し合うなかで変更した項目があったりしたからです。以下の箇条書き1. ~7. があらかじめ決めてあった<パネル展ですること>、→ の後ろが、じっさいにどうなったか、他に・代わりに何をしたか、などの例です。

  1. パネルを展示する。
    → 会場の都合でぜんぶが無理ならば数点選ぶ。貸主さんに選んでもらうことも。
  2. 戦争や帰還兵に関する本*を展示する。
    → パネルと同様に展示。会場に本棚などがあれば一緒に置かせてもらう。
    本は、販売目的ではなく閲覧用です。イラク戦争のこと、アメリカ軍の帰還兵のこと、兵士以外の戦場の労働者のこと、自衛隊のなかの自殺や鬱のこと、原爆や原発や核兵器の「ヒバク」のことなど、さまざまなテーマのものを置きました。
  3. パネルについての「感想ノート」を置く。
  4. パネル展やツアーについてのチラシ、冊子を置く。
    → チラシや冊子は会場ごとに作成して置かせてもらう。会場のチラシやwebサイトに紹介してもらう。チラシの様式が決まっていたら、それにしたがったものも作成する。
  5. ツアーのためのカンパを募る箱を置く。
    → お金のやり取りはだめなところもあり。
  6. ツアーの資金集めのために、ポストカードを販売させてもらう。
    → お金のやり取りはだめなところもあり。会場ですでにアーティストの作品などを販売されている場合、そこに一緒に置かせてもらう。
  7. サポーターが会場に常駐して、パネルを観てくださった方々に話しかけ、ツアーのことやパネルについて説明したり、その方々の感想をお聴きしたり、いろいろ話し合えるようにする。
    → 展示以外の、サポーターが常駐するスペースのみ有料のところもあり。サポーターが常駐できない場所もあり。

最後の7. を考慮すると、パネル展の会場は、公民館のようなところ、市など自治体が持っているスペースをお借りするのが適当・可能な方法のように思えました。しかし、じっさいは、サポーターの常駐ができないところも使わせていただきましたし、展示期間中の何日かのみサポーターがいた、という場合もありました。

サポーターが常駐できないところでの展示の是非については、サポーターのあいだでも意見が分かれました。たとえばカフェなどの場合、お客さんにはもともとアート作品に関心をもっていない人もいます(アートに関心があっても、戦争や軍隊というテーマは敬遠する人もいるかもしれません)。作品を観てもらえた場合でも、そしてたとえば「雰囲気に合う・合わない」「好き・嫌い」という感想を持ってもらえたとしても、それより深い関心はもってもらえないのではないか、ツアーのことも知ってもらえないのではないか、といった心配もあったように思います。
しかし、もちろんいろんな可能性への期待もありました。パネルを偶然目にしてツアーに関心を持つ人がいるかもしれない、ツアーに行こうとまでは思わないとしても、イラク戦争や帰還兵のことや帰還兵とアートのことを心にとめていく人がいるかもしれない、といった期待です。

●会場探し・手順
会場探しは、インターネットで、アート作品の展示のために無料(もしくは安く)でスペースを貸してくださるギャラリーやカフェ、コミュニティ・スペース、公民館や駅の通路、街の掲示板などを探し、いくつか候補を絞ったら、メールや電話でお願いをして、それから直接うかがい、交渉していきました。場所は、サポートメンバーが通いやすいところ、を優先したように思います。

交渉は、

  • 作品のプリントアウト版を持参し、どういう作品なのかをお見せする。
  • 展示スペースをみせていただき、搬入・搬出の日や方法、枚数や展示方法(貼り付け・吊るすなどの展示の方法や、照明の配置など)、だいたいの配置などを話し合う。
  • 書籍やカンパ箱、ポストカード販売、チラシの設置などについて話し合う。
  • サポーターが常駐できるかどうか、そのときの条件や料金などを話し合う。

という感じです。

このとき、「イラク戦争の帰還兵によるアート作品」を説明することも、それらの作品を私が日本で展示したい理由や意図などを説明することも、とても複雑で難しいものでした。難しいということがどんどんわかっていったということかもしれません。

他方、無料または廉価でアーティストの作品展示にスペースを貸し出される貸主さんは、作品をどう評価するか、場所柄やお客さんの傾向に合うか、ご自分の好みに合うか等々、それぞれ貸し出し基準をお持ちです。
また、たとえば環境問題に関心がある・政治問題は扱わない・町づくりの一環として・新人アーティストに発表場所を提供するなど、スペースを貸し出されるコンセプトやポリシー、目的などもいろいろお持ちです。

ですから貸主さんも、このパネル展のときには、そういう貸出基準やポリシーなどに照らし合わせつつ、「帰還兵のアート作品」を展示することについて、いろいろ考えてくださったのではないかと思います。

●お金のこと・その他
パネル展でいうと、パネルやポストカード、チラシやパンフの制作と印刷、会場使用(一部は有料)、展示作業(文具など)、運搬(関西・関東間でのパネルの郵送)などなど、地味にお金がかかります。主な費用は、ツアー全体の経費からいただきましたが、できることはなるべく手作業・手作りでした(非常に地味なことを書きますと、たとえば自宅でチラシを作ってプリントアウトする場合、すでにあるものはカンパとして使う、特殊な紙など新たに購入するものは経費にする場合もあり、とか)。

打ち合わせのときやパネル展会場への交通費は、それぞれ参加者個人によるツアーへのカンパということになったと思います(打ち合わせや打ち上げのときにときどきかかる飲食代というのもあります。
もちろん経費ではありませんし、ふつうカンパとはみなされないものです。が、一緒にご飯を食べることがメンバー同士の交流や対話の場として役立つときもあって、見えない経費またはカンパといえるものではないかと個人的には思います)。

パネル展ひとつひとつ。

パネル展をひとつひとつ、でも内容的には少しだけ、ご紹介します。パネル展のタイトルや紹介文、チラシなどは、会場ごとに作りました。そのチラシや、展示の様子(写真)も一部ご紹介します。会場の住所などは、2016年3月現在もweb公開されているものです。

●「えん」
Aaron & Ash Speaking Tour 2012プレ・パネル展 in 関東「ある帰還兵の心象風景」
日時:6月25日(月)~7月13日(金)10:30~18:00 (土日休)
場所:一橋大学図書“還”オープンスペース『えん』(東京都国立市中2-1)
ウェブサイト:http://ennoshita.kakuren-bo.com/

最初のパネル展は、国立市にある一橋大学のキャンパス内、付属図書館の横にある「えん」というスペースで行いました。ここは、学生サークルである「チーム・えんのした」さんが「古本リユース空間」として運営されているところで、いつも学生さんがゆったり本を読まれている印象がありました。パネルの数はわりと多く展示できたように思います。

感想ノートより観てくださった方の感想(編集してあります・これ以降も同じです):
「リアルなテーマだけど、ファンタジック」(アッシュさんの作品に)
「決して軽いテーマではないが、空間と作品がマッチしていて素敵」
「多彩だけど、統一感がある」(アーロンさんの作品に)
「アートというかたちで経験を表現するところに、前向きな姿勢を感じる」などなど。

 「えん」での展示のためのチラシ
Aaron & Ash Speaking Tour 2012プレ・パネル展 in 関東「ある帰還兵の心象風景」@一橋大学図書“還”オープンスペース『えん』(東京都国立市中2-1)

 「えん」での展示の様子。
nakamura_20120715_2

nakamura_20120715_3

nakamura_20120715_5

nakamura_20120715_1

●「uzna omom(ウズナオムオム)」
Aaron & Ash Speaking Tour 2012プレ・パネル展示企画 in 関東「ある帰還兵の心象風景」
日時:7月18日(水)~8月1日(水)12:00~20:00(火休)
場所:cafe gallery uzna omom (東京都渋谷区神宮前5-17-8原宿XS203号)
ウェブサイト:http://www.uznaomom.com/

カフェ・ギャラリー ウズナオムオムさんは、表参道を原宿寄りに一本入る、キャットストリートという遊歩道にあります。店内の大きな白い壁をアート作品の展示用に貸し出されていました。こちらでは多くのパネルは展示できないということで、アーロンさん8枚、アッシュさん3枚のパネルを、「戦争のことが少しでも伝わるように、でも、暗く希望の無いかたちでは終わらないように」と店長さんが選ばれました。関連書籍は、お店の本棚に、美術関連の書籍がならぶあいだに「さりげなく」紛れ込みました。お店のお客さんはいろんな年齢層の人がいらした印象です。ここでの写真をみたアッシュさんが、「シブヤに自分の作品が飾られた!」と喜んでくれたのでした。

感想ノートより:
「胸に迫る訴求力がある」
「戦争から還ってきて、どうして絵を描くようになったのか聞いてみたい」などなど。

 ウズナオムオムさんでの、DM用ハガキ(表・裏)。(地図画像は店長さん提供)。
Aaron & Ash Speaking Tour 2012プレ・パネル展示企画 in 関東「ある帰還兵の心象風景」@cafe gallery uzna omom Aaron & Ash Speaking Tour 2012プレ・パネル展示企画 in 関東「ある帰還兵の心象風景」@cafe gallery uzna omom

 ウズナオムオムさんでの展示風景。
matsumura_20120717_4

matsumura_20120717_1

matsumura_20120717_2

matsumura_20120717_3

●原爆の図丸木美術館
Aaron & Ash Speaking Tour 2012プレ・パネル展 in 関東 「その光景と思索~イラク帰還米兵作品パネル展~」
日時:8月4日(土)~25日(土)9:00~17:00(20日休)
場所:原爆の図 丸木美術館 2Fアートスペース(埼玉県東松山市下唐子1401)
ウェブサイト:http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm

原爆の図 丸木美術館さんは、埼玉県のほぼ中央に位置する東松山市にあります。画家丸木位里・丸木俊夫妻が1966年に同市に移住し、翌年開館した美術館だそうです。美術館のすぐ隣には、夫妻の晩年のアトリエだったという古民家や、来館者が参加するワークショップの作業場などがありました。お庭からは、都幾(とき)川の流れがのんびり見渡せました。お借りしたスペースは、有名な『原爆の図』の展示室のお隣の広いお部屋でした。とくに8月15日は来館者が多く、夏休みの課題として親子連れで来られた方も多かったのでした。そういう方々がパネル展にも立ち寄って下さいました。『原爆の図』を観に行ったら、イラク戦争に参加したアメリカ軍の帰還兵の作品にも出会う。そんな場をつくらせていただけた、ということだったのかもしれません。そういえば『原爆の図』には、丸木位里があとになって、原爆の被害を受けた人々を描いた部分に(被爆した)アメリカ人の姿も描き足したというお話をお聴きしました。

感想ノートより:
「日本ではイラク戦争はメディアのなかの出来事のようだが、経験した人は伝えたいと思って描くのでは」
「自分と向き合い、表現してくれたことに敬意を表したい」などなど。

●「まんまるの木」
Aaron & Ash Speaking Tour 2012プレ・パネル展 in 関東「ある帰還兵の心象風景」
日時:8月29日(水)~9月12日(水)8:45~17:00(日月祝休)
場所:space & cafe まんまるの木(東京都世田谷区池尻2-37-15)
ウェブサイト:http://manmarunoki.com/index.html

スペース&カフェまんまるの木さんには、1階にも2階にもさまざまなアート作品が飾られ、本棚には文化史・郷土史等の本がたくさん並んでいました。私たちがお借りしたのは2階です。パネルも多く展示でき、本は、本棚の中でなく、展示の棚に並べました。お客さんには、環境問題や地域の歴史、平和運動などにご関心の高い方が多い印象で、パネルも本も熱心に観ていただきました。また、私たちのほうもいろんなお話をうかがう機会に恵まれました。

ある日、カフェにいらしたアーティストの方に、(まんまるの木周辺の町である)池尻・三宿の郷土史を、地元の方への聴き取りからつづった小冊子をいただきました(せたがや道楽会発行『『世田ヶ谷』見聞録――池尻・三宿からの昔話』(2009年))。それによると、池尻と三宿は、農村の多い世田谷区のなかで、もっとも初めに開けた都会だったそうです。そのきっかけのひとつが、1891(明治24)年に、赤坂から軍隊(旧日本帝国軍)が移ってきたことです。練兵場や兵舎が造られ、各地から人が集まり、町にも軍相手の商店が増えていったそうです。そうやって町の人々の暮らしが軍隊と兵士たちの暮らしとともにあったこと、だから/しかし、戦争の終わりごろには、アメリカ軍による空襲を受けたときの「延焼」を防ぐために(日本)軍によって町の一部があらかじめ壊されたこと、そして空襲でもさらに壊されたことを知りました。

感想ノートより:
「相互理解をすすめれば、戦争は回避できると思う」
「戦争は愚かなことだと、分かるときが来ると思う」

 「まんまるの木」さんが発行されているペーパー「牛女だより」の一頁。
牛女だより

 まんまるの木での展示の様子(準備)。
matumura_20120829_1

matumura_20120829_2

●一橋祭(一橋大学の大学祭)
Aaron & Ash Speaking Tour 2012 来日前イベント in 一橋大学一橋祭
プレ・パネル展 in 関東「イラク帰還米兵 作品パネル展」
日時:11月2日~4日 10:00~17:00(4日~15:30)
場所:一橋大学(本館35教室)
映画上映会『IVAW(反戦イラク帰還兵の会) 明日へのあゆみ』(2012)
日時:2日14:00~/3日14:00~/4日12:00~
木村修監督トーク・感想交流会(3日15:15~)

一橋大学の大学祭、一橋祭に院生有志として参加し、パネル展と映画上映会、トークイベントを行いました。アーロンさんとアッシュさんの作品のパネルに加え、イラク戦争やIVAW、帰還兵などの基本的な情報についての説明もつくって展示しました。会場は、ふだんは教室として使用されている場所ですから、関東エリアの展示会場のなかでは、いちばんアートと縁遠い、飾りのない場所でした。そのためパネルをきれいにみせる(せめてちょっと整える)工夫が必要でした。いろんなところを移動してきたパネルはだいぶよれよれだった、というのもあります。しかしこの会場では、アート作品や映像作品は、(たとえば文字だけの展示よりも)関心を持ってもらいやすいということを改めて思いました。また、観ることを入り口にして、作品の背景や意味についての説明を読むこと(戦争や軍隊について考えること)へと進んでもらえる、という実感もできた場所でした。来てくださったのは学生さんと、主に国立在住のさまざまな年齢層の方々で、ゆっくりお話させていただきました。また、『IVAW(反戦イラク帰還兵の会) 明日へのあゆみ』を上映し、監督である木村修さんをお招きしてトークイベントを開きました。

感想ノート、アンケートより:
「大きなメディアによって自分のなかでのイラク戦争イメージが作られてしまっていたことを見透かされるように感じた」(アッシュさんの作品に)
「絵は、多くのことを伝えられると思った」
「どのような思いで描いたのかと思うと胸が痛む」
「戦争が、人々にも環境にとっても、醜く悲惨なものであることを思った」(アーロンさんの作品に)
「みんなが忘れて、風化してしまうことをとりあげていて、思い直す機会になった」
「現実離れしているように思えるが、それだけ戦争が遠い場にあるということだと思う」
「戦争の残虐さなどが伝わってくる」
「これからも元兵士として、戦争をしてはいけないということ、平和の大切さを伝えていってほしい」

 一橋祭で配布したチラシ
Aaron & Ash Speaking Tour 2012 来日前イベント in 一橋大学一橋祭

 一橋祭での展示風景。
matumura_20121102-04_hitotsubashi_1

matumura_20121102-04_hitotsubashi_2

matumura_20121102-04_hitotsubashi_3

パネル展のひとつのまとめ

2012年のスピーキングツアーは、アーロンさんとアッシュさんが那覇に到着した11月15日から始まり、12月9日の丸木美術館で終了しました。そのあいだに、お二人には、関西・関東でのパネル展についてお知らせしました。各会場でとった写真や、各会場で来場者の方々からいただいた感想を翻訳してお渡ししたり、それについて話し合ったり、などです。

しかし、そういえば、11月からのスピーキングツアーに、その前のパネル展を見たから来たという人がいたのかどうか、きちんと調査・確認はしなかった気がします。
先に、「会場探し・希望いろいろ」のところで、パネル展を観てくれた人のなかに、ツアーに行こうとは思わなくても、帰還兵とそのアート作品のことを心にとめていく人がいてくれればそれでもいいと思う、と書きましたように、パネル展の意味は、スピーキングツアー来場につながることだけではなかったと、いまは思います。が、とりあえずツアーのときにアンケートなどでお聞きすることもできたんだな、と少し(3年越しに)反省しています。

これからのこと(この記事のまとめの代わりに)

というわけで。とても手探りで手作りの企画は、出会いも含めていろんな生まれたものがあって、会としては2012年に終わりましたが、2017年のツアーに続いていく人のつながりや知恵や思いもあります。どこかで続いている何かもあるかもしれません。

2017年の企画とご参加をお待ちしています。

 

レイバーネットTV|Aaron & Ash Speaking Tour 2012

Aaron & Ash Speaking Tour 2012
2012年12月5日@レイバーネットTV

今までにない試みのTV出演です。
しっかり喋れたような、慌ただしく過ぎてしまったような・・・見ている方からすると、どうだったんでしょう?

12月5日の放送を、写真付記事にもまとめてくだりました。ありがとうございます!

若者が戦場で見たものは~「レイバーネットTV」でイラク帰還米兵が語った真実
 http://www.labornetjp.org/news/2012/1205shasin

レイバーネットTVのみなさま、この企画にご尽力くださったみなさま、本当にありがとうございました。

こぶち

イラク帰還兵スピーキングツアー番外編 SAKE & PEACE|Aaron & Ash Speaking Tour 2012

Aaron & Ash Speaking Tour 2012
イラク帰還兵スピーキングツアー番外編  
「SAKE & PEACE ~酒がつなぐ友情、そして平和」@BARのこされ島

2012年11月27日@大阪~BARのこされ島【再掲】

「一緒にお酒呑んで仲良くなった相手とは戦争せんやろ」ということで、ずっと前からやってみたかった酒呑みスピーキング・イベント。
普段の講演形式とは一味違う、ワイワイガヤガヤ楽しい雰囲気のなか、素直に話すことができた場でした。

のこされ島のこさん、ガンジーさん、のこされ島に集まってくださったみなさま、この企画をしてくれたT、本当にありがとうございました!

こぶち

20121127_barnoco_120121127_barnoco_220121127_barnoco_3

京都|Aaron & Ash Speaking Tour 2012

Aaron & Ash Speaking Tour 2012
2012年11月25日@京都【再掲】【再掲】

アートイベントでは、京都から沖縄への連帯行動として、また、沖縄への連帯を示すために向こうへ送れるものが良いね、ということで、1つの大きなポスターをつくることになりました。

参加者全員が自己紹介をした後ブレインストームをした結果、アッシュとアーロンが簡単なデッサンをホワイトボードに書きだしました。それを基に、大きな紙にみんなでメッセージを描き込んでいきました。

京都でのスピーキングでは、おそらく、今回のツアーが始まって以降2人が、いちばん感情的になっていたように思います。アッシュから喋りはじめたのですが、喋りながら凹んでいくのが如実にわかりましたし、それに触発されたのか、アーロンもアーロンで、今までのスピーキングでは触れてなかったことまで喋ってました。

短時間に多岐にわたる話題を詰めた結果、説明不足になってしまったこともありましたが、参加くださったみなさま、概ねわかっていただけたようです。

京都での企画を準備してくださったみなさま、スピーキング前のアートイベントから参加してくださったみなさま、長い1日を本当にありがとうございました<(__)>

こぶち

20121125_noosprey_poster_0ブレインストーム。
スペル間違いはない・・・はず!

20121125_noosprey_poster_1それぞれが得意分野を担当しました。
この後の色塗りで、大人が大騒ぎ・・・

20121125_noosprey_poster_3ポスター完成。

AMERICANS
JAPANESE
OKINAWANS
AND EVEN
YANBARUKUINA
SAYS
“NO OSPREY”

やんばるの森のなかで、ヤンバルクイナがオスプレイを踏みつけています。

「やんばるの森」として描きこまれたのがヘゴです。
先日高江に行った帰り、コーヒー休憩に立ちよったカフェの近くに
大きなヘゴがありました。

スピーキング終了後、この作品制作に参加した全員のサインが加えられて完成しました。
しばらくの間は、京都からの沖縄連帯行動で使用されるそうです。

沖縄国際大学|Aaron & Ash Speaking Tour 2012

Aaron & Ash Speaking Tour 2012
2012年11月21日@沖縄~沖縄国際大学(スピーキング)

 沖縄国際大学の授業でお話させていただきました。
 アッシュにしてもアーロンにしても、自分が軍に入ると決めた年齢とさして変わらない学生さんたちです。なかには、生まれたときから基地や米兵が身近な存在だった学生さんもいたと思います。2人の話を聴いて、どう思いはったのでしょうか。
 貴重な機会を与えてくださり、本当にありがとうございました<(__)>

こぶち

20121121_1_okinawaintuni_akagitree2004年8月13日、米軍ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落炎上したときに被災したアカギの木の前で。

人前に立って喋るっていう奴が、同じような服着てらあかんよな。
うちら3人ともが、この写真を撮るときまで気付いていませんでした・・・

20121121_2_okinawaintuni

20121121_3_okinawaintuni

20121121_4_osprey_futenma沖縄国際大学の屋上から見た米軍普天間基地

パネル展示&上映会@一橋祭ご報告(11月2日~4日)

一橋大学で開催されたパネル展示&上映会の報告が届きました。(ここ から転載)
=====================================
みなさま

関東サポーターの中村です。
木村さん、昨日は大変お忙しいなかはるばる国立までお越しくださって本当にありがとうございました。
あまりゆっくりご案内することはできませんでしたが、文化祭の雰囲気を楽しんでいただけたようでしたらとても嬉しいです。

さて、木村さんからのご報告にもありました通り、私たち一橋大学大学院の院生有志4人で、11/2~今日までアーロン・アッシュの作品パネル展と『IVAW明日へのあゆみ』上映会を行いました。

来場してくださった方は三日間で200名を超え、反響の大きさに私たちも驚いています。
かと言って混み過ぎるわけでもなく、関心を持ってくださった方とはじっくりとお話を聞くことができ、良い雰囲気で進められました。
特に今日は、たくさんの若い方々が関心を持ってくださったのがとても嬉しかったです。
また、上映の時間外でも「映像を見たい」と言ってくださる方がちらほら居たので、喜んで上映しました。

また、今回企画した院生4人は、それぞれ戦争・軍隊の研究やイラク反戦運動などに関わっています。それぞれの専門を活かし、イラク戦争の年表、イラク帰還兵とヴェトナム帰還兵の反戦運動、アフガン・イラク帰還兵の心の傷、劣化ウラン弾による被害、イラク国際戦犯民衆法廷・イラク戦争検証委員会、自衛隊とイラク戦争という6つのテーマでパネル発表をしました。皆さん結構じっくり読んでくださり、色々な角度から関心を持てる企画にできたかなと思います。

全国ツアー前にたくさんの方々にアーロンとアッシュのことをご紹介することができ、企画した私たちとしてもほっと胸をなでおろしております。

展示や会場の風景を何枚か写真に撮りましたので、宜しければご覧ください。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.420625981324144.109779.100001302367796&type=1&l=8a1b6350e8
(※こちらのアルバムは、Facebookのアカウントをお持ちでなくてもご覧になれます。写真をクリックすると拡大します。)

以上、ご報告まで。

中村江里

パネル展示&上映会@一橋祭ご報告(11月2日~4日)
Aaron Hughes “Dust Memories”, “Tourist Photographs”
小さな連作になっている”Dust Memories”は、彼がクウェートからイラクへ物資を運ぶ任務をしていた最中の光景を思わせます。この中には子どもの絵が出てきますが、アーロンは、まだイラクに行って間もないころに「手にパンを持たず、足に靴を履いていない子ども」を見かけ、この子たちを助けるために来たのだと思ったそうです。が、しばらく経っても子どもたちがそのような状態のままであることを見て、アメリカ軍はイラクに人びとを助けに来たわけではない、ということを考えたそうです。

パネル展示&上映会@一橋祭ご報告(11月2日~4日)
Ash Kyrie “Transfer’s of War”
アッシュの作品は、ニューヨーク・タイムズ紙やロサンゼルス・タイムズ紙などの主要紙で使われている報道写真を元にして作られたものです。彼は、これらの新聞から1年以上かけて画像を集めてみて、そこに「穏やかな介入」と「抽象的な爆発」と「犠牲」の3種類の典型的なイメージしかないことに気づきました。「穏やかな介入」は、残虐性・暴力性を排除された兵士の写真を、「抽象的な爆発」は、爆発の下で失われていく命が排除された写真を指し、そして「犠牲」は、西側の軍事行動による犠牲も西側兵士の犠牲も表されず、”敵”を強調するために使われる犠牲者のみの写真を指しています。このようなメディアによる戦争イメージが、自分の記憶の中の戦争イメージといかに違うかにアッシュは関心を持っていると言っています。

パネル展示&上映会@一橋祭ご報告(11月2日~4日)
今回企画した院生4人は、それぞれ戦争・軍隊の研究やイラク反戦運動などに関わっています。それぞれの専門を活かし、イラク戦争の年表、イラク帰還兵とヴェトナム帰還兵の反戦運動、アフガン・イラク帰還兵の心の傷、劣化ウラン弾による被害、イラク国際戦犯民衆法廷・イラク戦争検証委員会、自衛隊とイラク戦争という6つのテーマでパネル発表をしました。
皆さん結構じっくり読んでくださり、とても嬉しかったです。

パネル展示&上映会@一橋祭ご報告(11月2日~4日)
関連図書コーナー。イチオシは、ジョシュア・キー 、ローレンス・ヒル(構成)、井出真也(訳)『イラク米軍脱走兵、真実の告発』合同出版、2008年。難民認定を求めてカナダに脱走したイラク帰還兵の話ですが、彼の生い立ちから現在までの思考の過程が追える、とても刺激に満ちた本です。

パネル展示&上映会@一橋祭ご報告(11月2日~4日)
11月3日は、『IVAW明日へのあゆみ』の監督・木村修さんにお越しいただき、お話を伺いました。11月末から始まるアーロン・アッシュの沖縄集会のご準備で大変お忙しい中、IVAWの活動に関心を持った経緯や二人の作品解説などをしてくださいました。

“NO NATO, NO WAR”

 2012年5月20日、約50人の帰還兵が、シカゴで行われた NATO 首脳会合に抗議するデモに参加した。アフガン・フォー・ピースのメンバーとともにデモを先導した帰還兵たちは、行進を終えると、一人ずつ前に立ち、短いスピーチとともに、軍から授与されたメダルを、首脳会合に出席している NATO 将官たちへ向けて投げ返した。

“NO NATO, NO WAR” NATO に抗議し、メダルを返還
20日の NATO 抗議行動の模様(一部抜粋)

 20日の日曜日には、グランド・パークから NATO 首脳会議会場近くまでのデモ行進が行われました。一週間にわたる一連の抗議行動のなかで最大のものでした。デモ行進の先頭に立ったのは、イラク-アフガニスタン戦争の帰還兵と、アフガンズ・フォー・ピース(平和を求めるアフガン人たち)のメンバーです。
 行進中、帰還兵たちは、アッシュのコールで、「NO NATO, NO WAR!」「We don’t work for you no more! もうあなたたち NATO 指揮官のためには働かない!」「We don’t kill for you no more! もうあなたたちのために人を殺したりはしない!」などのシュプレヒコールを叫びました。
 行進の終着地点では、「反戦イラク帰還兵の会」(IVAW)が、自分たちが授与された参戦顕彰メダルを”返上する”セレモニーを行い、40名以上の帰還兵が、首脳会議が開かれている会場の方角へメダルを投げました。これと同様の抗議行動は、1971年にも、ベトナム戦争の帰還兵たちによって首都ワシントンで行われました。
 セレモニーでは、一人一人の帰還兵が、路上に設けられたステージ上で、氏名、従軍の時期・所属、メダルを返すにあたっての思いを述べました。

「アッシュ・ウールソンです。軍曹でした。イラクにいたのは2003年です。そこで見たことは本当にひどかった。完全に打ちのめされました。あの経験をした自分自身や他の人たちが再び同じ苦しみを味わわないように、そして、僕らの子どもたちがこんな苦しみを味わわないように、そう願ってメダルを返します。」

「アーロン・ヒューズです。2000年から2006年までイリノイ州兵でした。(1つ目の)このメダルは、去年亡くなったアンソニー・ワグナーのために投げます。(もう一つの)このメダルは、同僚から性暴力を受けている、女性兵士たちのために投げます。軍の女性たちの実に3分の1がそのような被害を受けています。私たちアメリカ人は、我々の姉妹たち、すなわちアフガニスタンの女性たちを解放するためだ、と言ってアフガニスタンで戦争を始めましたが、実は自国の女性たちを正しく遇することすらできないでいるのです。謝罪の思いを込めてメダルを投げます。みなさんに謝ります。本当に申し訳なく思っています。」

原文:
Democracy Now!, 2012, “”No NATO, No War”: U.S. Veterans of Iraq and Afghanistan Return War Medals at NATO Summit,” Democracy Now!, posted on 21 May 2012, available at http://www.democracynow.org/2012/5/21/no_nato_no_war_us_veterans.
翻訳:わだともこ、編集:こぶち | 2012年6月23日

【追記】
 後日、Democracy Now! は、IVAW 反 NATO 行動の特集を放送した。

Democracy Now! | 28 May 2012
“Memorial Day Special: U.S. Veterans of Iraq and Afghanistan Return War Medals at NATO Summit”
http://www.democracynow.org/2012/5/28/memorial_day_special_us_veterans_of

なぜ NATO の将軍たちにメダルを返すのか

 シカゴで行われる IVAW 反 NATO 行動の一部として、NATO 首脳陣へ、軍が授与した勲章の返却が行われる。以下は、アフガン戦争からの帰還兵が、参加理由を語ったものである。

戦争から抵抗へ:
アフガニスタン帰還兵、「なぜ NATO の将軍たちにメダルを返すのか」

<北大西洋条約第5条:加盟国の少なくとも一カ国が攻撃された場合には、集団的自衛権を行使する>

 NATO は1949年、欧州10カ国とアメリカ、カナダの戦略的同盟として結成された。NATO の文書によると、その目的は「北大西洋地域における民主的平和の推進、および民主主義、個人の自由、法治、という共通の価値を守ること」である。50年以上が経ち、2001年9月11日後になって、NATO がアフガニスタンにおける「テロとの闘い」を担うために、条約第5条が初めて行使された。それから11年、北大西洋地域から遠く離れた地で、テロとの闘いは続けられ、日々その醜悪さを増している。

 2012年5月20日、シカゴでの NATO 首脳会議にあたり、反戦イラク帰還兵の会(IVAW)は、アフガニスタンからのメンバーに先導されて、平和的に行進を行う。9時にリンカーン・モニュメントの南にあるグランド・パークで集会を開き、その後首脳会議の会場に向って行進する。このようなかたちで、戦争の欺瞞と失敗した政策、戦争下で行われてきた人道に対する犯罪への、反対の意志をあらわそうというのである。IVAW は、すべての帰還兵、現役兵に、共に行動することを呼びかけている。
 グレアム・クランプナーは2003年から2007年第75特殊任務歩兵(レンジャー)連隊に所属し、2005年から06年にかけてアフガニスタンに派遣され、「不朽の自由作戦」の一端を担った。任務は、手榴弾の投擲と車輌の運転だった。2009年、イラクに派遣されるべく再召集を受けたが、それを拒否した。現在彼は、IVAW のオーガナイザーである。
 多くの兵士同様、グレアムは、高校を卒業するとすぐ、大義のための偉大な名誉ある服務に参加したい、という情熱にかられて軍に入った。
 「僕は、なにか重要なことをしたかった。大切な存在になりたい、自分よりも大きななにかの一部になりたい、そう思っていたのです。9.11が契機になりました。」「自分たち西洋人が行動する仕方と、東南アジアでタリバンやアルカイダが行動する仕方との違いはなによりも大きいと思っていました。黒と白、善と悪、だと信じていたのです。アメリカがアフガンの人々を解放するというアイデアを受け入れ、これっぽっちも疑いませんでした。レンジャーになって、アフガニスタンの女性を解放し、イスラム原理主義の圧制を終わらせようと思って、そして、無知な若い白人の男であるという自分の罪深さを少しでも減らそうと思って、陸軍に志願したんです。」グレアムは言う。

 以下はグレアム・クランプナーとのインタビューである。(シィリ・マージェリン)

―――なぜ NATO にメダルを返そうと思ったのですか?
 NATO、アメリカ陸軍、母国アメリカの人々、これら全ての人に対して、メダルには何の意味もないということをはっきりと示したいからです。メダルが意味しているはずのことは、僕らがこのメダルを「手に入れる」ために実際にしたこととは何の関係もない。だから、そんなメダルは欲しくない、必要ないのです。メダルは欺瞞と偽りの行為によって得られたものです。「ニセモノのヒーロー物語」を支え、永続化するものなのです。
 従軍経験者にとって、軍にいたときというのは、人生のピークのようなものです。これまでも忘れたことはないし、一生忘れないでしょう。自分が軍でしたことを考え直し、間違っていたと結論づけることは、軍経験者にとって、とても大きなことです。メダルを返上するのは、帰還兵として、自分たちがアフガニスタンでしたことが何だったのか、何のためだったのかをきちんと認識し、その責任をとるということをはっきりと示すことなのです。メダルを返すことで、NATO にもそうしてもらいたい、と訴えるのです。

――― NATO の戦争に対して反対するようになった経験はどんなものですか?
 特殊任務歩兵としての第一の任務は、アルカイダとタリバンの指導者を捕らえるか、殺すかすることでした。午前2時に出発し、一軒家とか集合住宅とかを包囲して、ドアを蹴破り、見つけた人たちを逮捕したり、殺したりしました。たいていの場合、僕らが襲った家は「ホット」-つまり、なかにいる者は誰でも撃ってよい、とされていたところ-でした。女性でも子どもでも関係なく、その家にいるということは、すなわちテロリストを支援している者、とみなしたわけです。ですが、10回のうち9回は、そのような家で見つけた人たちはテロ支援者ではなかった、問題はそこでした。
 僕たちは殺すための訓練は受けていましたが、どうやって国家を建設するかなど教えられなかった。関わりあった者を殺す、それ以外に任務を果たす方法など知らなかったんです。言葉もわからない、習慣もわからない、犯罪者とそうでない人を区別することもできなかった。殺すことしかできなかったのです。
 アフガニスタンで実際に起こっていたことは、報道や、NATO やアメリカ政府が発表することとは違っていました。現実について話す代わりに僕らは嘘をつきました。公に語られていることが嘘である限り、僕らが行動を改めたり、作戦を変えたりすることはできませんでした。
 公の発表では、NATO 軍はアフガニスタンの女性の権利のために闘い、アフガニスタンの人々に民主主義をもたらそうとしている、ということになっていました。現実には、軍はそんなことには関心がなく、僕らは仮にそうしたいと思ったとしても、そんなことはとてもできなかった。僕らの使命は何度も何度も変わり、弁解のしようがない非人道的な行いに参加するよう命令されました。そのことから決して回復できない行い、目的のない、僕らと接した全ての人が僕らを敵だと思うようになる行いに、です。僕らが襲撃した全ての家には、僕らが行く前に「テロリスト」がいなかったとしても、僕らが行った後には、テロリストが、つまりテロに訴えることも辞さないほどアメリカを憎んでいる人が、いる、ということになっただろうと確信しています。

―――あなたはなぜ IVAW に入ったのですか?
 イラクへ派遣されるという再召集令状を受け取ったのは、軍を辞めて大学に通っていたときです。2008年の帰還兵の日(ヴェテランズ・デー)でした。令状を僕に読んでみせるために、父に呼ばれました。いやな会話になりました。
 その後の9ヶ月間はひどかった。ひとりぼっちで怯えていました。心的外傷後ストレス障害(PTSD)が耐えられないほどになっていました。自分が築いてきた人生や人間関係が粉々になり、自殺したいと思うようになりました。そんなときに IVAW に出会ったのです。IVAW は、僕が必要な支援を得るのを手伝ってくれ、復員兵のための治療制度を利用する手続きなどをひとつひとつ教えてくれました。最終的に、外傷性脳損傷(TBI)と PTSD の診断を受けることができ、復員軍人局からの手当てが出ることになって最悪の状態を脱することができたのです。この経験で僕はすっかり変わりました。
 この過程を通して、僕は元の自分に戻る道を見つけることができました。初めて IVAW のフィールドオーガナイザーに会ったとき、彼が僕に言ったのは一言、「お帰り、ブラザー」だけでした。おかしな話ですが、それまで、そんなふうに言われたことがありませんでした。その言葉がどれほど僕の胸に響いたか、言葉では説明できません。両親も、友だちも、当時の彼女も、誰一人、戻ってきた僕をそんなふうに迎えてくれなかった。やたらに背の高い、反戦運動の組織家というよりはバスケの選手みたいに見える、彼だけが、そう言ってくれたんです。

―――反 NATO 行動に大勢の人が参加すると思いますか。
 はい。だって、もう11年にもなるんですよ! 戦争そのものにも NATO の政策にも、大勢の人が反対しています。
 ヨーロッパの NATO 主要国では、戦争とNATO の失政に反対して、大勢の人が行動してきました。シカゴでのこの抗議行動は、NATO の世界との関わり方を変えるための、次の一歩です。
 反戦感情は高まっています。アフガニスタンで行われている残虐行為について伝えられる話は、日を追ってひどいものになっています。これまで僕たち IVAW のメンバーが訴えてきたことが信じられなかった人は、ダニー・デイヴィス中佐がどんなことを言っているか調べてみてください。デイヴィス中佐は現役の高級士官です。戦争がどれだけうまくいっているかを評価する任務の彼が、僕らの言っていることとほとんど同じことを言っています。
 シカゴでは新しい法律ができ、抗議行動をするのは、全然無理ではないとしても、やりにくくなっています。今こそ、我々アメリカ人が持っている、かの有名な権利というもののために、アフガニスタンで僕のような兵隊たちがそのために戦ったはずのもののために、立ち上がらなくてはなりません。

――― NATO に対して(IVAW は)どんな要求をしているのですか?
 我々の要求は、NATO 軍傘下で戦い、その結果に苦しんでいる全ての兵員に対して正当な認識を与えること、アフガニスタンの人々と社会に対して NATO がもたらした損害を賠償すること、です。
 NATO は、国際的な安全保障のための支援を行う軍隊であることを自称しています。NATO が実際行っているのは、アフガニスタンに平和を確立するチャンスをつぶしていることですから、皮肉な話です。NATO 軍の兵士がアフガニスタンにいる限り、戦争が続きます。

――― NATO への抗議行動を規制するために動員される、イリノイ州兵に対しては、どんなメッセージを送りますか?
 僕は従軍中、兵士としての名誉にもとるようなことはしなかった。再召集されるまでずっと、指揮官から命じられたことをきちんと遂行しました。良い兵士として、自陣営の一員としてすべきことをきちんと果たしていました。軍務とはそういうものです。軍は入隊したときの契約を破り続けたけれども、それで何かが変わったわけではなかった。でも、兵隊の側が契約違反をすれば刑務所に送られます。暴力的ともいうべき不平等な力関係です。陸軍で教えられることは、義務・名誉・祖国、です。僕は兵士として、こういった僕らにとって大切なもののために戦いました。これからも、今度は帰還兵として、同じもののために、もはや軍隊がその表れではなくなってしまった同じ価値観を守るために、戦い続けます。仲間であるあなたたちも、憲法違反であるとわかっている命令には従わないでほしいと訴えたいです。
 州兵だけでなく、シカゴ警察に対しても、自らの姿と仕事を鏡に映してよく見てみるんだ、と言いたい。世界に対して、これが私ですと胸を張って示せるか?と。あなた方が立ち上がるなら、僕らはその隣で一緒に立ちます。軍に入ったのはこんなことをするためではなかった、みなさんもそうだと思います。
 軍や警察に入ったのは、世界をより良いものにしたかったからでしょう。今からでも遅くない。ともに行動しましょう。

原文:
Hughes, Aaron, 2012, “FROM WAR TO RESISTANCE: AFGHANISTAN VETERAN EXPLAINS WHY HE PLANS TO RETURN HIS MEDALS TO NATO’S GENERALS,” IVAW, published on 25 April 2012, available at http://www.ivaw.org/blog/war-resistance-afghanistan-veteran-explains-why-he-plans-return-his-medals-natos-generals.
翻訳:わだともこ、編集:こぶち | 2012年6月23日